職人の独り言、六

 

 

 一事が万事、すべてがこんな感じさ。時間がたつと、俺のことをわかってきた人たちは俺にやすやすとはビジネスの話は持ち込まなくなったよね。そのおかげとうのかな、俺は俺なりのやり方というか、流儀ができていったんだよね。俺の言ってることに共鳴してくれる人たちや、俺自身が気に入った人たちや気になる人たちとは、気心のおけるおもしろおかしい付き合いができるようになっていったからね。こういう付き合いはさ、「ビジネス」どうのこうのの付き合いじゃないんだ。ただ、俺に共感し、共鳴してくれるところから発展したものだったからね。でもさ、不思議というか、奇妙というか、奇跡みたいなことっていうのはさ、こうして俺の好みで築き上げていった人間関係の上に起こるものなんだよね。だって、そういう人間関係から、どんどんと仕事につながっていくようになったからね。そりゃあさ、効率性や合理性というところからはさ、確かに常識を欠いたものだったんだと思うよ。とても、それをビジネスとなんて呼べないって、ビジネスマンたちは言うかもしれないよ。でも、少しずつ少しずつ、仕事は増えていったんだよ。あるときは取材してくれたメディアが他のメディアを呼び込んだりさ、あるときは経営コンサルタントが何人もの経営者たちを呼び込み、俺のつくった鞄のファンになってくれたりしてさ。俺は、よくいろんな人から「堅物だ」とか「頑固者だ」とか「変わり者だ」と呼ばれるんだけどね、人と出会うことは嫌いではないからね。だから面白い人から面白い人の紹介を受ければ、その紹介を受け入れて、その人との会話を心底楽しむしね。そうすると、結果的にそれが知らず知らずのうちに、「営業」みたいな動きになっていたり、「宣伝」になっていたりするんだろうな。俺にとっちゃあ、本当に意図しない展開だよ。いやぁ、本当に不思議なことってあるもんなんだよなぁ。オレは見たこともねぇし、知らないけどさ。だけど、本当に神様って、いるのかもわかんねぇよな。倒産して死のうって思っていた俺のもとにさ、今こうして多くの人たちが集まってきてくれるんだからさ。

 

 奇跡と言っていいのかどうかは知らないけど、トントン拍子っていうか、俺もよくわからないけどさ。俺はただ、淡々と自分の好きなモノづくりをしているだけなんだけどね。まわりからは、「いやぁ、菅野さんの快進撃は凄いですね。」とから、「うまいことやりましたね」なんて言われちゃうんだよな。まあ、まわりから見たらそう見えるんだろ。取引先だって、全国に広がっていったからね。京都になんか旗艦店までできちゃったしね。注文が入れば、俺だって嬉しいし、まあ、工場の仲間たちだって、悪い気はしないはずだよ。それでみんなで張り切って、ひとつひとつ、こさえていくんだよな。それで口コミが口コミを呼んで、人づてに広がっていった話がさ、日本だけではおさまらなくなる日が来るんだよな。俺は、本気で思っていることがあるんだけど、モノってしゃべるんじゃないかな? って。エアロコンセプトが海外にわたった、最初のキッカケになったのは、とあるイタリア在住の革屋さんなんだよ。ああ、さっき少し触れたあの革屋さん。この人はさ、イタリアと日本を行き来する珍しい人なんだ。で、俺とはね、とあるイタリア革の商談会で知り合ったの。そしたら、これが、すぐに意気投合しちゃってね。何よりもいいなと思ったのは、俺のつくった鞄を見た瞬間から気に入ってくれてね。絶句したみたいに驚いてくれたことだよね。随分、いろいろ褒めてくれたよ。それもただおだててるだけの褒め言葉じゃなくてね。それで、この人と話をしているうちに、この人が、エアロコンセプトをイタリアで売りたいって言い出したんだよね。まあ彼の頭の中には、イタリアだったら俺に任せておけ、っていうのがあったんだろうな。こうやってね、最初に海外進出、ヨーロッパに販路をもてることになったんだ。そうすると、このイタリアの販路から、いろんな注文が入ってきてさ。だから、俺の元には、毎月、ジャン・アレジが大ファンになったとかさ、ジウジアーロが喜んでいるとか、想像もできないような報せが届くんだよな。

 

 大概の人には意外がられるんだけどさ、俺にとっては、ヨーロッパというのは、別に遠いと感じる存在じゃあなかったんだよ。むしろ、海外への気持ちは、俺の頭にいつもドッカリとあったからね。どうしてか?って。 それは単に憧れだよね。ただ単に「肌が合う」「好みが似てる」ってところから来ているのかもしれないしさ。俺はさ、昔の洋画に登場するヨーロッパの風景やハイカラなモノが好きなんだよ。それに俺の親父はとにかく、高くても品質のいいものを自分のまわりに置いておく人だったからね。ヨーロッパの方から輸入されてきた商品ってさ、やっぱり気品があるんだよ。俺は、そういういいモノがある環境の中に偶然、育ってきたと思うんだ。それは別にうちが裕福だったってことではないんだよ。ただ、親父が、稼いだ金をそういうものにつぎ込む性格だったってだけでね。だからさ、俺のつくる鞄が、外国人に気に入ってもらうことが多かったり、ハリウッドのセレブなんていう信じられないような人たちにお客さんになってもらえたのも、ヨーロッパの大富豪にリピーターになってもらえたのも、きっとそういうことと関係があるのかもしれないよな。自分じゃあ、よくわからないけどさ、もしかしたら俺の中に自然な形で「ヨーロッパ的なモノづくり」が溶け込んでいるのかもわからないよね。

 

 なかでもさ、俺の職人魂を買ってくれたのは、イギリスだったかな。英国皇室御用達の老舗のアンティークショップでありトップテーラーのギーヴス&ホークスという店が、ロンドンの一等地のサヴィル・ロー、ウォールトンストリートってところにあるんだ。300年くらい続いている、老舗中の老舗だよ。このお店のバイヤーが俺の鞄のファンだったんだよな。この彼がさ、数年前に頻繁に来日していて、日本に滞在するたびに百貨店を物色しているときに俺の鞄が目にとまったんだそうだよ。「何だか異彩を放ってるプロダクトがあるよって、思ったらしいよ。彼みたいな一流のバイヤーって言ったら、世界中旅して、ありとあらゆるモノに手を伸ばし見てきた職業だろ。しかも彼はさ、何を見ても大しては驚かなくなっていたのに、心を揺さぶられて、凄く気に入ってくれて、すぐに俺に連絡して、会いにまできてくれたんだ。だから、もう言うことないよね。でもね、その頃、その男はダンヒルっていうブランドとのコラボレーションのために働いていたんだ。俺も、その男のことは凄く買っていたんだけど、そのときは話がまとまらなくて、商売の形にならなかったんだよ。でも彼は、俺の鞄も、俺のこともその後もずっと覚えていてくれてね。その後も何度か連絡をくれていたんだ。それから2年くらい経った後だったかな。また話を聞いてくれないか、ってこう言うわけだ。それで蓋を開けてみたらさ、ギーブス&ホークスっていう、300年も続く老舗のアンティークショップだったんだよな。これは俺も気に入っちゃってさ、この店でだったら、ちゃん販売してもえるって思ったんだよ。でも、日本の常識からしたら、おかしな話なんだろうね。職人が売る店を選でるんだからさ。でも、俺にしてみたら、それが当たり前のことなんだよ。俺が魂を込めてつくったモノは、それなりに哲学とか、歴史とか、それこそ威厳とか、誇りとか、そういうものを持ったところで売ってもらわないとな。