「型あり」と「型なし」


 ここから先、私は菅野から学んだこと、盗み取ったことを書き連ねていこうと思っている。しかし、実はその大半のことは、精神的なことである。しかし、それ以前に、エアロコンセプトは、モノとしてだけでも偉大なプロダクトだし、菅野敬一という人間は匠の職人だし、彼が率いてきた町工場は、社会に大きな信頼を置かれる高い技術を備えた工場なのだ。

 

 菅野はよく「型あり、型なし」という言葉を口にする。これはどういう意味かというと、どんなに破天荒なことをやっていても型があるかないかで、そこに宿る美しさが変るという、そんな意味合いで使われることが多いと思う。たとえば、ピカソという人の絵画を思い浮かべてほしい。彼の絵は、大変に抽象的だし、破天荒だし、自由である。しかし、それが、彼の高度なデッサン力の上に成っていることは、少し彼のことを調べてみるとわかることだ。これと同じことがエアロコンセプトにもあてはまる。エアロコンセプトが今まで誰も見たことがないモノであっても、これまで誰もつくったことがない常識はずれの製品だと言われていても、そこにはちゃんとした型がある。土台となる基礎があるのだ。その点を見誤ってはいけない。菅野の成功というのは、思いつきではない。彼は、彼の腕の中に、頭の中に、大変な技術を備えている。そして、そうした技術がある上で、彼ならではのユニークな考え方、哲学がある。

 

 彼の精神的な内容をただただ書き記すだけなら、大変、抽象的な内容になってしまう。もちろん、菅野の言葉は、それだけでだって美しいし読む価値はある。でも、もしもエアロコンプトがどんな風に、菅野敬一と彼の町工場がどんな技術と工程でモノをつくっているのかを知りたい人にとっては、このパートはモノヅクリとしてのエアロコンセプトの舞台裏を描いた内容となる。そして、ただ、「職人」という言葉や「高い技術」「匠の技」という言葉の裏に広く深い奥行きがあることを知ることになるだろう。まず、菅野敬一の成功者としての秘密を解き明かす前に、エアロコンセプトというプロダクトがいかにしてできているのか、職人・菅野敬一や彼の町工場がどんな技術を備えているのか、開示したいと思う。「精密板金加工」という世界は、素人が頭で考えるよりもずっと複雑な仕事なのである。それこそが、菅野が、旧菅野製作所や旧渓水そして現エアロコンセプトが、ずっと関わってきたことなのである。

 

 では、その精密板金加工とは何か? という問いからはじめてみたい。21世紀初頭という時代、私たちの暮らす社会には金属製品が溢れている。それは、誰もが認識していることだと思う。そして、その金属製品には、精度の高さが求められる。そこで必要とされるのが、精密板金加工という技術である。銀行のATM、自動改札機、自動販売機、もちろん菅野がずっと携わってきた新幹線、航空機などもそうだ。そうした製品を頭に頭に思い浮かべてもらうと良い。その形状や機能には、いかにも「精密」という言葉が当てはまりそうな感じが漂っているのがわかるだろう。実のところ、精密板金加工という加工技術に、厳密な定義があるわけではなくて、精密板金加工とは、つまり、精密な作業を必要とする板金加工を指して言うだけなのだ。だから、シンプルに考えたなら、精密なことをやる板金屋さんということなのだ。

 

 では、板金屋さんとは何なのだろうか? 板金加工という言葉については、多くの人が耳にしたことがあるだろうし、多くの人はその姿を頭の中でイメージできるはずである。もっともよく知られているのが、自動車板金加工。目立ちはしないけれど、大抵、どこの町にでもあるから、目にする機会はあるずだ。交通事故などでできてしまった凹みなどを修理するのも板金屋の仕事である。板金加工技術とは、金属板を切断したり、曲げてみせたり、接着したり、穴を開けたりしながら、金属板をさまざまな立体物にしてゆく加工技術のことを言う。菅野がいつも口にする「俺は、ただの板金工だからさ」とか「職人だからさ」というのは、この技術に礎を据えてきた長年の自負があってこそである。

 

 数年前、この板金技術は、菅野以外のところでも脚光を浴びた。それはどこでかと言うと、新幹線の先頭部分にも用いられている技術としてだ。新幹線の先頭車両は頭尾2両しかないため、大量生産品と言えるほど、生産数は多くはない。加えて、新幹線という乗り物は、頻繁にモデルチェンジがなされてきた。そのために、わざわざプレス用の金型をつくっていたのでは、とてもコストが合わなくなってしまう。そこでものを言うのが、熟練の板金職人の技術となるわけだ。アルミ板をハンマーによって打ち付けることで、車体の美しい曲線をつくり出すわけである。板金加工技術というのは、こんなところにも用いられている。

 

 菅野の手に染み付いているのは、基本的には、この板金加工の技術である。違うのは、そこに0.1mmの差異も許されない、精密さが求められるということである。菅野が率いる渓水が多く製作するのも、新幹線や航空機の一部だ。しかし、それは車両の筐体ではなく、内部構造パーツである。例としてあげられるのはセンターコンソールやセンターアーム、サイドアームなどと呼ばれる箇所である。新幹線や航空機は、ご存知の通り、高速移動する乗り物だ。そうすると当然、その高速移動体を構成するパーツはひとつひとつが、寸分の違いもなく、組み立てられていなくてはならないはずだ。でなければ、すぐに緩みができガタができ、壊れて、大変な事故を起こす原因となってしまう。つまりそこには、何よりも精度と強度が要求されるのだ。移動する空間が陸であれ、空であれ、そこを高速で移動するということは、そこには強い振動が起る。高い精度、高い強度を備えていなければ、たとえそれが筐体とは直接の関係がないシートまわりの構成部品であっても、瓦解の原因となってしまうのだ。だから、そこに用いられる板金技術には、当然、高度なものである必要がある。その高度さが、一体いかなるものなのかは、金属加工などの分野で専門的に製作に関わったことがある人間だけだろう。

 

 では、菅野が誇りを持つ、その技術について、具体的にみてみたい。エアロコンセプトも基本的には、この工程のなかで生み出されるプロダクトと考えてもらうのが良い。

 

 精密板金加工の工程の中において、何よりも大切なのは、最初にある立体イメージを平面に落とし込むこと、図面作成である。ここで難しいのは、その作業の順番までをしっかりと考慮しつつ図面作成しなければならないということなのだ。でなければ、すべての工程が機能しなくなってしまう。できあがるものが精密どころか、チグハグな不良品に終わってしまう。だから、腕利きの職人は細部までを脳の中でイメージしながら、図面に落とし込む。菅野がはじめエアロコンセプトを図面に落とし込んだときには、この作業を何度も何度も繰り返して、やっとひとつのまとまった形に至ったと、本人が語ってくれたことがあった。そのひとつのまとまった形ができれば、それを応用できるから、それ以降は応用編で随分、図面をひくのは楽な作業になるのだそうだ。

 

 一通りの計算が映された図面が書き起こされると、次に行われるのは、NC工作機というコンピュータプログラムの組み込まれた自動工作機による型抜き作業。つまり、穴開けの作業である。金属板はここでサイコロのように型抜きされて、切断面にできる不要なバリを取り除かれることで、立体物となる前のひとつのパーツに仕上げられる。バリを取り除く作業というのは、ことのほか重要な作業となる。というのは、金属のバリというのが、精密さを損なわせるばかりか、少しでも残っていると刃物のような働きをして、触れる人に傷を負わせかねないからだ。エアロコンセプトという製品には、そういう粗がない。それは、この作業においても職人技を徹底的に注ぎ込んでいるからだ。 

 

 この流れのなかで、ひとまずつくり出された金属のパーツには、次に曲げの加工というものが施されることになる。この曲げ加工に用いられるのは、曲げ機械と呼ばれる専用マシーンである。曲がる形状というものは、あらかじめ細かく決められてなければいけない。それをしっかり頭に入れた上で展開図は作成される必要があるのだ。金属板は、いい具合に、正確な角度に曲げられなければ意味がなくなてtしまう。精密板金加工の所以はそこにあるのだ。 

 

 そして続くのが溶接の工程となる。溶接とは、金属同士を溶かして接合を行うことを言うのだけど、この作業というのは、多くの人がきっとどこかしかで目にしたことのあるものだと思う。町工場の職人さんが溶接マスクをつけて、粉じんや火の粉、煙などが舞い上がる中作業をする光景というものに、記憶はないだろうか。傍目に見れば、薄暗い中で火花を散らして作業をする様子は、美しくさえ思えるのかもしれない。しかし、実際、これをやる人は危険と隣合わせにあり、そこに要求される技術にも差は出る。溶接でうまい具合に、金属板パーツと金属板パーツが接合されると、最後に仕上げ作業と呼ばれる、妙な盛り上がりや途中でできた傷などを美しく平かに直される作業が入って、製品として完成するというわけだ。エアロコンセプトの筐体というのは、実は、こうして、いくつもの工程を丹念に丁寧に重ねられて仕上げられていくのである。

 

 言葉だけで作業内容を連ねると簡単そうに聞こえるが、当然ながら、実際にやるのは、相当に難しい。菅野の口癖に「知っているのと、実際に自分ができるのとでは天と地ほどの違いがあるんだ」というのは、こういう工程のひとつひとつを具体的に知っているからこそ出てくる言葉なのである。当たり前だけど、手を抜くことなど、どの工程でも許されない。素材は、工程の中で力や熱を加えられる。そうすると、そのことで素材がわずかに伸縮する。熟練の職人たちは、素材の性質を見極め、ほんの少しのさじ加減で力と熱を加え、製作を進めなければならないのだ。つまり、精密板金加工とは、蓄積された経験をベースに徹底的な計算を仕込み、さらにその上で熟練の匠の手技が投じられてはじめてカタチとなって、プロダクトとしての生を受けるものなのである。

 

 菅野が率いてきた町工場がこの技術に抜きに出てきたのは、エアロコンセプトという商品が、他を寄せ付けないほどに圧倒的な精度を誇るのは、3代続く板金屋としての長い歴史のなかで培われてきたものだと考えられる。祖父の代からの技術が、上手い具合に継承されてきていなければ、高い板金技術へと進化を遂げるということ自体が難しかったかもしれない。