他力に頼る

 

 

 菅野は人を使う。こう書くと、かなり語弊があるだろう。多くの人が「人を使う」と言うと、悪いイメージを抱くのではないだろうか。しかし、菅野の他力に頼るというのは、そうではない。菅野は誰かを操ろうとする人間ではないのだ。強引なところはあるだろう。また、頑固に自分の意見を主張する場面もあるだろう。しかし菅野は、人を操る、ということに興味がない。

 

 「オレはね、ずっと小さな輪の大将できたんだよ。子供の頃はやっぱり近所のガキ大将だったしさ、スキー部では部長だったしさ、渓水では組織の長を務めてきたしね。でもさ、どこ行ってもそうなんだけど、オレはあんまり人を操ろうとか、叱って育ててやろうとか、そういうことをしてこなかったんだよ。どうしてかって? いやあ、あんまり興味ないんだよ。人を操ることにさ。それよりもっと楽しいことがあるじゃないか? それに人っていうのは、他人がどうこうしようとしたって、変るわけでもないって、どこか悟ってるところもあるのかもしれないな。でもね、オレ、気がついたことがあるんだけどさ。案外、人っていうのは、褒めてやり続けていると、悪いところが消えちゃったりするんだよ。これは意外だろ? オレも意外だったんだけどね。長所のことばっか言ってやってると意識がそっちに向くのかねぇ。短所が消えちゃうんだよ。不思議なもんだよな。」

 

 しかし、だからと言って菅野が人間に興味がないわけではない。いやむしろ、菅野は人間が大好きである。いろいろな分野の専門家に会ったり、自分の知らない世界のことを知っている仲間と語らったりすることは、菅野がとても大切にしている時間である。人を操らず、人を好む。菅野の特性を書くとそういうことになる。そして、結果として、彼は人を使う。これはどういうことかと言うと、彼は自分の出来ないことを他の人に手伝ってもらう達人なのである。

 

 例えば、エアロコンセプトのウェブサイトを思い返してみると良い。あのホームページは、インターネットができてまだ間もない1998年頃に立ち上げられたものだそうだ。もちろん菅野が、ホームページ制作などできるわけがない。しかし菅野は、町工場としてはいち早くホームページを立ち上げることに成功している。これは、菅野にパソコンやネットに詳しい知人がいたおかげである。しかし、いくら知人だからと言って、何でもかんでも無料でやるはずもない。というのが、世間の相場である。しかし菅野の場合は、いくらか事情が異なってくる。何故なら、菅野は本当にお金を持っていなかった。だから、「ちょっと、ホームページってのつくってみたいんだけどさ。どうやるのかね? 」とそう聞く。そして、「悪いんだけどさ、今度の日曜日うちの工場にちょっと来て、みてくんないかな。すぐにできるかどうかはさ、それから考えてみたらいいかなと思ってんだよ。」。菅野に誘われると、何か楽しいお誕生日会に誘われているような気分になる。きっとこのネットに詳しい知人もそう感じたに違いない。菅野のところを訪ねてみると、菅野との楽しい恊働作業がはじまるのである。

 

 菅野は、本当に人を使おうなどという考えがない。ただ「こういうのがあったらいいんだよな」とそう言うだけなのだ。だから、エアロコンセプトにまつわるビジネスの仕組みというのは、一事が万事、こうした偶発的な人と人との重なり合いから発展していったものなのである。しかし、ここで大切なことは、菅野自身が自分の能力を「板金職人」という一点に限定していることにあるのだ。限定していればこそ、自ら手を動かして何かをしようなどとは思わないのであろう。例えば、海外におけるビジネス展開のプロデュースだって、あるいは皮の縫製職人との協業だって、菅野は自らの手を使ってそれをやろうとはしなかった。ちょっと自惚れやすい人間ならきっと、こうは自分を抑制できないだろう。そしてもし少しでも英語や外国語が話せたり、手先が器用だったとしたなら、「自分にもできるかもしれない」という淡い期待を抱いてしまうだろう。しかし菅野は違った。

 

 「だからさ、オレはそもそもの話としてそういうことができないんだよ。オレはただの職人だから、マーケットがどうとかも分からないし、商取引のルールとかもわからない。それにさ、自分がやっている板金の世界だって、どこまでいったって技術に底なしだというのに、どうして自分でやろうとなんて思うだよ? やれるわけないだろう。だいたいさ、今の人たちって言うのは、簡単にいろんな肩書きを名乗り過ぎなんじゃないかな? どうしてそんなに簡単に、何かのプロフェッショナルになったような気になれるのか、オレにはよくわからないよ。ビジネスの世界ではそういうある種の軽さやハッタリが必要だって言うことはよくわかってはいるんだけどさ。昔の日本はそんなんじゃなかったと思うぜ。裏を返せばさ、これは日本に本当の意味でのプロがいなくなってしまっているということなんじゃないかな? 自分ができることなんてひとつでいいんだよ。あとのことは、お願いでも何でもしてやってもらうことだよ。オレは自分じゃ板金しかできないから、他のことは他の人に任せて、手伝ってもらっているんだよ。」。

 

 なるほど、確かに、菅野の恊働に対する考えは的を得ている。そうそう簡単にプロになろうとするのは無理があるのだ。では、どんな点に心を配って、菅野は人を動かしてきたのだろうか? この問いに菅野はこんな話をしてくれた。

 

 「あのさ、面白いものなんだけどさ。オレは企業とのコラボレーションというのは嫌いなんだよ。今の、皮の縫製職人との出会いだって、個人と個人の出会いからはじまったものだしな。大きな会社の方がリスクが避けられたり、ビジネス面で施設が整っていたりと、いろんなことから有利なことがあるのもわかるんだ。だけどさ、実際問題としては、どうなんだろうな。やっぱりいちいち、上に稟議なんか通して、会議ばっかりしているような奴らと面白いものがつくれるとは到底思えないんだよな。だから、オレは小さい会社とか、風通しのいい会社とか、心の通じた個人だとか、そういう人としか協業はしないことにしているんだよ」。

 

 他力を活かすということ、恊働ということは、今の社会の中では、何か物事、プロジェクトを完遂する上で絶対に欠かすことのできないことだ。この恊働をするときに、会社の規模や財務の健全性、ブランド力の高さで座組をすることは常識である。それが世間の言う他力との協力の基準であろう。しかし同時に、全てのプロジェクトにとって、最も大切とも言えることを菅野は忘れない。それは、一緒に面白がってくれる相手、本音を言い合える相手と仕事をする、ということなのである。