海の向こうを夢みる
エアロコンセプトには、文化の薫りがする。そんなプロダクトを、ひとりの職人がつくりあげてしまった。「これだけのクオリティのプロダクトがつくられたのは、偶然なのだろうか?」エアロコンセプトの成功について考えはじめると、その疑問にぶち当たる。私は、かつて『AXIS』
というプロダクトデザインを中心としたデザイン誌の編集部に籍を置いていた。その仕事の関係上、デザインされた製品というものを嫌というほど目にしてき た。また、日本各地を旅して、日本の伝統工芸品についての取材も重ねてきた。だから目利きとは言わぬまでも、プロダクトデザインや日用品に対する多少の善
し悪しについては、わかっているつもりである。しかし、エアロコンセプトのような製品にはついぞ出会ったことがなかった。そんな特殊な職業柄をひけらかさ ずとも、街に出れば、様々な製品が目に飛び込んでくる今の消費社会では、多くの人がモノに対して善し悪しを感じる価値観を持っているはずだ。しかし、やは
りエアロコンセプトのように、心に突き刺さる、隙のないプロダクトは決して多くない。それどころか、めったに出会うことができない。デザイン性、クラフト マンシップ、そして品位と、そのどれをとってみても、高いレベルに達している。彼の工場には、パッケージデザイナーやカーデザイナー、そして有名なプロダ
クトデザイナーが足を運ぶ。彼らが菅野に寄せる便りには、決まって次のようなことが書かれている。「先日、御社の製品を偶然、拝見いたしました。精緻な技 術、デザイン、ブランド創造など、一貫したものづくりへの姿勢に、大変な感銘を受けました。大変不躾なお願いではあるのですが、一度、御社にお伺いさせて いただき、お話を伺わせていただきたいのですが、可能でしょうか?」。
超一流のプロダクト・デザイナーやカー・デザイナーでさえ、菅野のつくり出したものから何かヒントを得たいと考えている。それほどエアロコンセプトには、 人の心をくすぐるものが宿されている。深く豊かな感性が詰め込まれている。「どうして、ただの町工場の職人がこんなものをつくれるのだろう?」。多くの人
が抱く疑問はそのようなものだ。私自身、ずっと深くそのことについては悩まされていた。それは技術的な観点のことというよりは、感性的な観点、もっと言え ばデザイン的な観点、造形的な観点からだ。「どうして、そんなものをカタチづくることが可能なのだろうか? これほど国境を超えて愛されるプロダクトが、どうして若くもない男の手から生み出されるのか?」と。
しかし、私は、この答えに連なる事実を見つけて、心の底から腑に落ちた。それはどんな事実だったかと言うと、菅野敬一がフランスへと留学していたことがあったということだ。それも1年間や2年間ではなく6年 間という長きにわたって。彼がフランス語がしゃべれることが判明したのは、私がたまたま見学に連れていったカナダ人の女友人と、フランス語の会話をしはじ
めたからだった。彼女は香港に住むデザイナーで、かつて日本に住んでいた。その彼女が、ボーイフレンドでありプロダクトデザイナーである彼とともに、菅野 の工場を訪れたがったのだ。カナダの公用語はご存知の通り、英語とフランス語である。しかし、彼女は英語で育てられたので、ほんの日常的なフランス語だけ
を話すことができただけだ。にもかかわらず、その彼女がネイティブである英語ではなくてフランス語を話していたのだ。その相手は菅野である。ふたりの間で 交わされる、チンプンカンプンのフランス語を聞きながら、私は開いた口が塞がらなかった。後で彼女は、私にこう教えてくれた。「彼のフランス語は完璧よ。
カナダで育った私の方がフランス語が下手なんて、ちょっと恥ずかしいわ」と。このことから、菅野がフランスへ行っていたことが奇しくも判明してしまったの だ。だが、彼を詰問すると彼には彼なりの考えがあって、洋行帰りを伏せてきていたのだ。「職人風情のオレがさ、フランスなんか行ってたなんて、職人仲間と かさ、渓流釣りの仲間が知ってみろよ。格好付けてるみたいで恥ずかしいだろ? そ
れだけならいいけどさ。人間同士っていうのは、フラットな関係にいなければいけないんだよ。変な肩書きとかさ、気取った経歴なんて、邪魔なだけなんだ。オ レと仲間たちの間ってのは、心でつながっているだけなんだよ。職人仲間とは、モノヅクリの心でつながっていて、渓流釣りの仲間とは、山歩きの心でつながっ
ている。ただそれだけなんだ。オレが革屋のオッサンに何かを頼むのだって、お互いにまっさらな関係だから、いい話し合いができるんだ。渓流釣りの仲間だっ て、そうだよ。まっさらな関係だから、オレたちはいい関係なんだ。それがもしもだよ、フランス留学してた、なんて知られてみろよ。”お前、そんな過去ひけ
らかして、一体何が言いたいんだ?”って、偏見の目で見られちゃって、大変なんだよ。」(菅野)
偶然知ったことでありながら、このことは、エアロコンセプトの秘密を語るうえで、外すことのできない事実であると、私には感じられて仕方なかった。菅野が フランスという異国を体験していなかったら、間違いなくエアロコンセプトのようなものは誕生していないだろう。このブランドがまとうハイカラで品位のある
雰囲気には、ヨーロッパ的な優雅さや海の向こうへのロマンが漂っている。日本製でありながらも、地球上の多くの人が目をとめずにはいられない美意識が宿っ ている。それが一体どこから来ているものなのか、私はずっとずっと考えていたのだ。しかし、菅野は、この話を本書に掲載することに対して、なかなか首を縦
には振ってくれなかった。それは、彼が多くの仲間たちとの「フラットな関係」「偏見のない関係」を心からのぞんでいたからだ。しかし、この話は無視するに は、あまりにも重大な秘密である。だから、何度もお願いをして、本書にこうして掲載することができるようになったのだ。
「やっぱり、フランスについても、話さなきゃいけないの? フランスにはね、何しに行ったかって行ったらね、スキーを学びに行ったんだよ。大学のスキー部 に入ってさ、高名なジョルジュ・ジュベール先生という人に師事してね。オレもガキだったから、プロスキーヤーになるって夢みたいなもんもあったしさ。ま
あ、最初の半年ってのは言葉もわからないし、馴染まないこと多いし、とにかくヨーロッパってのは冬は寒いし、空は暗いだろ。なんだか切なくってね。ホーム シックみたいなものにもなったけど、でも、一度慣れちゃったら、もうこっちのもんだよな。小さくてもアパート借りて、質素な暮らしをしてさ。とてつもなく
生意気だけど、一回仲良くなったら、凄くいい人間のフランス人たちとも友達になってな。そらぁ、楽しい貧乏生活をしていたんだよ。多感なときに、あっちの生 活に馴染んじゃうとさ、もう日本に帰ってきたくなくなるんだよ。だからさ、帰らなきゃいけないってなったときには、毎晩、同じ夢を見るようになったんだ
よ。日本の空港に飛行機が到着すると、オレはその飛行機から降りないで隠れているんだよ。そうすると、飛行機が折り返して、フランスに帰っていってくれ るっていう夢なんだな。とにかく生活様式の違いってものや、あちらで感じてきた自由の精神というものを日本のそれらと比較して、想像したら、なんか帰りた
くなくなっちゃったんだよな。だけど、別にオレがフランスに行っていたからと言って、オレは特別、どこかの職人の工房に寝泊まりしていたわけでもないし さ、増してやデザインの勉強をしていたわけでもないんだ。オレがフランスでしてたことってのは、貧乏な学生生活を長くしていたってだけのことだよ。」(菅 野)
それでも筆者は、フランス留学をしたという菅野に、私はストレートに聞いてみたことがあった、「エアロコンセプトには、フランス留学で経験したことが活か されていたりするのでしょうか?」と。しかし、菅野は、首を傾げながら、決して「うん」とは言わない。「そうかもしれねぇし、そうじゃねぇかもしれねぇ
な。まあ、もちろん、いろんなことを見てきたのは、何かの役に立っているんだろうがね」。しかし、菅野は間違いなく、フランスで多くのことを、肌で学び、 心をふるわせて帰ってきたのだ。その証拠に、彼はよくこんなことを口にしていた。「日本人のビジネスマンっていう奴らはさ、本当に下品なんだよ。日本が先
進国なんていうのは大嘘だよ。ヨーロッパの連中を見てみろよ。彼らは、本当の意味での、モノヅクリを知っているんだ。モノをつくる人間に対して、ちゃんと 敬意を抱くんだ。下品な金の使い方をしないんだよ。フランス人だって、イギリス人だって、みんなそうなんだよ。オレは、ことエアロコンプトのことについて
は、日本人の阿呆なバイヤーやプロデューサーなんかよりも、ヨーロッパの連中の方が心のずっと深いところでエアロコンセプトを評価してくれているって、そ う感じるんだよ」。
いっとき、日本各地では、職人技というものに注目が集まった。「職人が現代のライフスタイルを考慮して、モノをつくれば素晴らしいものできる!」と、プロ デューサーにそそのかされて、「匠がつくる夢の製品」が続々と発表されてきた。しかし、そこに、目をみはるようなものはほとんど生まれなかった。そこに
は、はっきりと足りないものがあったのだ。それは、「心」「センス」「文化」という、人の心を踊らせる感性である。売れるモノには必ず「センス」がある。 どんなに凄い技術を備えた職人がつくったモノだって、そこに「センス」がなければ、売れるはずはない。買う側からしてみたら、いらないモノはやっぱりいら
ないモノでしかないのだ。たとえ、その「センス」を有名デザイナー先生を起用して無理矢理つくり出したとしても、それは解決するものではない。そこには本 当の意味での、心から滲み出した「センス」つまり「文化」が欠けているのだ。凄腕の技術に、ハリボテのデザインを被せたところで、本質的には何も変わらな
い。では、どうして菅野が人の心を動かす「センス」や「文化」を身につけることができたのか?
世界的カーデザイナーであるジョルジェット・ジウジアーロ氏から彼のクリエイションに敬意を表したネクタイのプレゼントを受け取ることができるのか?
そ れは、菅野が「センス」やら「文化」というものを経験的に知っているからにほかならない。そして彼独自の「センス」が、世界に響くのは、彼が世界の文化を 経験した男であることと決して無関係ではない。そのことは、彼がジウジアーロ氏にしたためた手紙によくあらわれている。「センス」というものが、一体、ど ういうものなのか?
菅野は知っているのだ。「センス」というものが、お金や地位とはまるで関係のないものだということを。心から沸いて出てくるというものだということを知り尽くしているのだ。
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Giorgetto Giugiaro様
こんにちは。
はじめまして、私はKei Suganoです。
6月、あなたからのプレゼントがトリノのマリオ氏によって届けられました。
ほんとうに有難うございます。
「Giorgetto Giugiaro Designのネクタイ」、
これは、あなたを尊敬する私にとって最高のプレゼントでした。
私は祖父の代から続く十人ほどの小さな工場の板金職人です。
飛行機や新幹線の椅子の部品を造っています。
10年ほど前からAERO CONCEPTと名前をつけた製品を造り出しました。
これらは「私の好きなモノ」として個人的な趣味として造ってきたものです。
私はデザインを知りませんし、勉強したことがありません。
これらの製品は私にとって魅力的な飛行機の構造体を応用して造ったものです。
残念なストーリーですが、日本では職人は社会的に高い尊敬を受けていません。
それはヨーロッパとは全く逆の現象と聞いています。
祖父も父も私も、大手企業の下請け工場として、「早くしろ、安くしろ」と命令され、彼らの奴隷のようにモノを造ってきました。
AERO CONCEPTの製造目的は、長いあいだ職人として生きてきた私が、死ぬまでに世の中に残したい、”自らの証明”として始めたものです。
さて、
あなたとあなたの会社がドイツの自動車会社の一員となった事を新聞で知りました。
私はこの結論によって会社がどれだけお金が儲かるのか、この結論で個人がどれだけお金が儲かるのか、といった事はよくわかりません。
さらに新聞にはあなたのコメントがありました。
「すべての雫は、やがて海に流れ込んで大海となる、まさにITALDESIGNは、その一滴であると考えた」と。
私は知っています。
大海は一滴の雫を飲み込みました。
しかし雫の中に存在するあなたの脳と指先を飲み込む事は出来ないでしょう。
そして、あなたの脳と指先に大海の水が流れ込むこともないでしょう。
職人 Kei Sugano
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菅野がジウジアーロに宛てた手紙には、「大変お世話になります」も「どうぞ宜しくお願い致します」も出てこない。日本のモノヅクリ屋が、イタリアのモノヅ クリ屋に贈った「心ある正直な言葉」だけが品良くつづられているばかりだ。有名な外国人だからとへりくだりもしないし、かと言って、横柄に自分を誇示する
こともない。海の向こうの優れたつくり手に対する、敬意と共感が心ある言葉として平易に表されている。ただそれだけなのだ。こんな風に、的確な距離感を保 ちながら、世界的デザイナーとコミュニケーションを取ることのできる日本人が、他にどれほどいるだろうか?
ましてや職人がどれほどいるだろうか?
菅野は、ひとりの人間として、世界とわたり合うことのできるコスモポリタンなのである。世界に通用するのは、モノヅクリのセンスばかりではなくて、人間と してのコミュニケーションにおいてもなのである。私は、彼がフランスに滞在していた過去があることを知り、驚いたと同時にとても合点がいった想いだった。
「海の向こうって、何だか、やっぱり憧れるよな。海の向こうに出たいって、誰だって思うんじゃないかな。少なくとも、オレは海の向こうに夢を見たんだよ。 今、こんな風に、世界に注目されているのは、つくった本人だって、不思議に思っているんだけどさ。それでも、世界と勝負できるっていうのは、本当に嬉しい
ことだよな。だって、町工場のオヤジのつくったものが、海をわたって人の手にわたるって、夢があるじゃないか。」(菅野)。
近年、インターネットの普及とともに、世界は狭くなったなどと言われる。世界の情報が何でも瞬時に手に入ると言われる。しかし、本当にそうだろうか? 自らの肌で感じていないものを、あたかも知っているような顔をする人が増えてはいないだろうか? 私 は、彼の話を聞いて、本当の「センス」というものは、生の経験によってしか培われないものだと改めて思い出させられた。菅野の創造物が、世界に轟くのは、
彼が世界を知っているから、海外における生の経験を脳と指先のなかに宿しているから、なのではないかと踏んだ。そして、日本人は、もう一度、世界に目を向 けて、海の向こうに憧れて、深い意味での「センス」を思い出さなければならないのかもしれない。コスモポリタンに一歩でも近づけるように、歩み出さなけれ
ばいないのかもしれない。そう菅野に教えられているような気がしたのだ。どうしてかと言えば、日本人はあまりにも、世界に取り残されてしまっていると感じ るから。それは経済面、技術面においてではなく、「心」や「センス」や「文化」という面が、多くの日本製品に薫らなくなってしまったと、そう思うからだ。