釣る

 

 

 菅野を評して、彼に「仙人」と命名したピアニストがいた。菅野が醸し出す雰囲気や肚の据わった話っぷりを聞いてそう感じるのだろう。それはもしかしたら、菅野が山歩きを好み、山に篭るという話をしたこととも少なからず関係があったのかもしれない。また菅野が嬉々とした表情を見せながら、お化けを怖がらず、むしろ好奇心をかき立てられたエピソードを話したせいかもしれない。


 そのエピソードというのは、こんな話だった。菅野がたしなむ渓流釣りの仲間に仲良くしてくれていたふたり兄弟がいた。深夜、ふたりが池へと釣りに行くと、池から何やら人影のようなものが彼らに向かって近づいてくる。震え上がったふたりは、慌ててその場を背にして大急ぎで逃げた。しかし影の気配は消えず、どんどんと勢いを増して近づいてくる。ふたりの前には、くぐり抜けてきた網が立ちはだかり、下方に空いた穴を抜けられなければ、影に捕まえられてしまう。影の大きな手が、後ろから伸びてくる空気を感じながら、間一髪で網を超えて、ふたりは命からがら助かったのだという。翌朝から、ふたりは興奮しながらその話を釣りの仲間たちに聞かせた。あんな恐ろしい池には近寄ったら駄目だ、と言いたかったのだ。もちろんこの話は菅野の耳にも入ることになった。さて、これを聞いた菅野はこう思った。「へぇ、そんな不思議なことって、本当にあるのかな」と。しかし、いくらふたりの顔を見てもとても嘘をついているようには見えない。「よし分かった。じゃあ、オレが行ってみるよ」菅野がそう口にすると、「馬鹿! 敬ちゃん、あんな恐ろしい池には絶対近づいたらいけないよ」とふたりは必死に止めた。しかし菅野はその夜、山に足を進めると、ふたり兄弟が言っていた池の前へとたどり着いた。そして、嬉しそうに腕を組みながら、その池のそばにあった大きな石のところに腰掛けると朝までずっと、池から人影または化け物が出てくるのを待った。さて、翌朝、陽光と鳥のさえずりに菅野は目を覚ました。すっかり眠ってしまっていたようだ。菅野は起き上がると、早速、ふたり兄弟のところへ行き、「何にも出なかったから、すっかり寝ちゃったよ」と笑いながら話した。そんなエピソードである。この話から、菅野がいかに怖いもの知らずか、あるいは好奇心旺盛かがわかる。または、少々、凡人離れしすぎている、と感じる人もいるかもしれない。前述のピアニストが、菅野のことを仙人のようだと称するのは、きっと菅野のこうした威風堂々とした点を感じてのことなのだろう。


 しかし話はここで終わらない。菅野は確かに今の時代には珍しいくらいに人を引き寄せる人間的魅力に溢れた人物である。それは野性と言っていいような魅力であり、彼の奥深い部分から醸し出されるものでもある。山歩きの術もよく知っているし、渓流釣り遊びもするものだから、イメージ的にも仙人と結びつくのだろう。しかし、そんな菅野は自分のことを仙人だとは全く思っていない。それどころか、本当の意味で「道を極める」ということからは自分自身が「とてもとても足らない」と、そう信じて疑わないのである。それは菅野が本心から感じていることがあればこそである。どうして彼がそう感じるのか? それは彼自身が仙人と感じる人物と知り合いだからだ。知り合いというと大きな語弊がある。知り合いどころか、その人物とは師弟関係を結んでいるのだという。筆者が最初にこの話を聞いたときには、にわかには信じることができなかった。菅野敬一という、あまりに確立された個性、幽霊にも動じず、権威に媚びることをしない魂が頭を垂らす人物がいるということに心底驚いたからだった。そう、菅野が尊敬してやまないこの人物は、何の師匠かと言えば、渓流釣りにおける師匠なのであった。


 彼の名は、水崎次男と言った。菅野と歳はさほど変らず、4つ年上なだけである。ふたりの出会いは、山梨の山奥だった。渓流釣りに興味を持った若かりし頃の菅野は、山梨へと足を運ぶようになっていた。しかし、想像以上に難しい渓流釣りに、菅野は四苦八苦していた。一日に釣れて2匹か3匹、しかもまぐれで引っかかるだけだった。ある日のこと、菅野はまた渓流釣りに出かけた。「今日こそは」と意気込んで、午前中、川の上で格闘をした。しかし、一匹もつかまらない。悔しさを滲ませながら、昼ご飯を食べるために川岸にある管理事務所へと戻った菅野は、ある言葉を耳にする。「いやぁ、名人、朝だけで60匹もつかまえるなんて、なんかやんなっちゃうなア。オレなんか、まだ一匹も釣れてないっていうのにサ」。菅野がこの台詞を耳にして顔を見上げると、そこには恰幅のいい、えも言われぬオーラをまとった男の背中があった。彼は後ろからその姿を見ただけで、「ただものではない」という印象をもった。そして、背中越しにのぞかせるも長い髭から、菅野の頭に浮かんだのは、まさに「仙人」という言葉であった。物怖じしない菅野をもってして、近寄りがたい、世界が違うなという雰囲気を醸す男。その男に向かって、思い切って立ち上がると、菅野は話をしかけたのだった。「ちょっと、すいません。あたしね、渓流釣りをはじめたばかりなんだけどね。なんか、あなたが名人って、呼ばれているのを耳にしてね、ちょっと教えてもらえたらなと思ったことがあるんだけど…。あのう、それは仕掛けのことなんだけどもね…。」。菅野が話しかけても、男は振り返りさえしない。こいつは、やっぱり入り込む余地のない仙人なんだと、菅野は悔しさも見せずに席に戻って、食べかけのカツ丼に箸をつけた。そして、しばらくの間、菅野がドンブリに向かって箸を動かしていると目の前に例の仙人が立ち尽くしていた。そして、ぶっきらぼうにこう聞いてきた「あんた、渓流釣り、どれくらいやってんの?」。菅野は、事情を説明した。とにかくはじめたばかりの初心者であること、渓流釣りを覚えたいこと、一度自分の釣りを見てもらって型を教えてもらいたいこと、などを話したのだった。すると、この名人と呼ばれる仙人は、「じゃあ、あんた、この下に笹子の本流が流れているところがあるから、解禁日にそこで会おうか」と菅野と約束してくれたのだ。菅野は、内心、笹子の本流が流れているところと言われてもどこだかサッパリ検討がつかなかった。そして、相手が電車で釣りに来ていることを察すると、「お住まいはどちらなんですか? あのもし良かったら、あたし、車で来ていて、東京の方に帰るので、もしそちらなら送っていきますから、一緒に乗っていきませんか?」とこう切り出した。すると、その名人は、またぶっきらぼうな声を出すと、「ああ、そう」と車に乗ってくれたのだった。

 

 このとき、菅野は気に入ってもらって、かわいがってもらえるよう、何とか正式な弟子にしてもらおうと、口八丁手八丁で色んな話をしたのだと言う。菅野も人間である。いくら媚を売らない男であれど、自分がかなわぬ何かを持っていると直観が感じたら素直なものなのだ。自分より強く大きな人間に対しては、菅野であっても自ら愛嬌をふりまく。これは、この話の本筋とは外れたところで興味深いくだりではないだろうか。金に媚びない、権威に媚びない人間が、不思議なオーラを備えた初対面の「渓流釣り名人らしき人物」には、愛嬌をふりまくのだから。つまり菅野には、彼なりの価値観があるだけでその価値観にそぐえば、普通の人と同じようにへりくだって見せたりもするのだ。

 

 さて、車に名人を乗せた菅野は、取り付けた約束についてもう一度聞くことにした。「あの、名人、笹子の本流の場所って言っても、ちょっと、わたし、はじめてなのでどこだかきっとわからないから、もう少し詳しく教えてもらえないでしょうかね?」と。しかし、名人からの返事は変らなかった。「だいたい、笹子の本流にいたらいいよ。オレ、見つけてやるから」。次の週になると、菅野は弱りながらも笹子川の本流に車を走らせた。そして、事前に調べておいた笹子川本流の近くの駐車場に車を停めると、川岸へと降りていった。しかし驚いたのは、降りてからである。何しろ広く、人が多いのだ。渓流釣りの解禁日というものが、こんなにも人が集まるのかという位に人で溢れているのだ。辺りを見回してみても、やはり名人らしき人物はいない。「やっぱり、こんなところじゃ会えないよな」と名人に会うことは諦めて、菅野は自分ひとりで渓流釣りをはじめることにした。午前中いっぱい釣りをして、菅野は全然釣れなかったという。そこで、ひと息つこうと、岸へあがろうとしたときに声が聞こえた。「菅野くん、菅野くん、こっち、こっち」と、例の名人の声が聞こえてきたのである。菅野が笑顔になって名人のところへと足をむけると、名人はバケツに200匹ほどの山女を釣り上げていた。このとき、菅野は、名人という人物が本当の意味で山川を自らの庭としており、そんな場で誰かを探すなど容易いことなのだと知ったのだった。

 

 こうして菅野は、水崎名人の教えを受けることができるようになる。そしてメキメキと力をつけていったのだった。「オレはね、一日渓流釣りに行くとしたら、半日は黙って名人についていって、その釣りを観察するって決めたんだよ。自分が手を動かしていたら、どう動かしているかなんてわからなくなっちゃうからね。そしたらね、本当に美しいってのがわかるんだよ。もう名人の動きの一挙手一投足の全てが美しいんだよ。岩と岩を飛びながら川を相手にする所作のひとつひとつがね。山歩きしていると、一歩間違ったら、崖に落っこちちゃうなんてところだってあるんだよ。だけど、彼はそういう場所を歩くときでも、まったく物怖じしないし躊躇しないんだ。それはなんでかと言ったらね、彼には覚悟ができているからなんだよ。釣りさえあったら、何にもいらないし、自分の思う釣りができて、命を落としたとしてもそれは本望だってね」。筆者がこの話を聞いたとき、菅野が誰に教わったわけでもないのに、自らの道、オリジナルの道を躊躇することなく進んでいくのがどうしてか、覚悟を決めて進んでいけるのがどうしてか、深い部分で理解できた気がした。きっと彼の頭には、オリジナルの道を行く師匠の姿があったのだろう。覚悟を決めるということが、ひとり道なき道を歩くということがどういうことかを彼はちゃんと身を以て学んでいたのだ。

 

 名人に弟子入りして半年も経つと、菅野は一日に数十匹は釣れる腕前になっていた。どうして釣れるようになったのか? これを聞くと菅野はこう答える。「気配で見えるようになるんだよ。川は外から見ただけでは真っ黒だったりするんだけどね。魚が前見ているのか、尾っぽを向けているのか、はっきりわかるようになるんだよ。これは、師匠に教わったことなんだけどね。頭がどっち向いているかが分かれば、もう釣ったようなものなんだ。相手は魚だ。目の前に餌が出てくれば食いつくんだ。だけど、普通の人には、魚がどっちを向いているか見えないから、餌が出せない。ただそれだけなんだ。」。ただそれだけと言っても、ちょっとやそっとのことではない。まさにそれは心眼というものである。菅野が名人から教わった、最も大切なことはそれだった。都会っ子の菅野にとって、名人との山歩きは驚きの連続だった。それは夜の山の歩き方だったり、自然の生態系のことだったり、山を歩く者同士の気遣いだったり、と多岐にわたっていた。菅野からしてみれば、都会で育ちながらも、スキーなどを通じて自然には触れているつもりだった。しかし、名人との山歩きではいかに人間が傲慢に何でも知っていると思い込んでいるかを思い知らされたのだという。そして、山に入ると自然と謙虚な気持ちになり、自然の中で遊ばせていただいているという気持ちが自然と湧いてくるのだという。「最近、オレと知り合いになったような人たちは、きっとオレがそんな遊びをしているっていうのは、頭で知っていたとしても本当には分かってもらえないと思うんだよ。何しろ過酷な遊びだからね。ちょっとアウトドアで釣りをやるとか、そういう遊び方じゃないんだよ。だから渓流釣りをしていれば身体感覚も変ってくるし、価値観だって変ってきちゃうんだよな。でもさ、驚くのはね、山を知り尽くしたように見えるオレのお師匠さんがこう言うことなんだ。”菅野くん、いいか。人間がね、知っていること、分かることなんていうのはね、地球上のほんの、これっぽっちのことだけなんだよ”てね。凄いだろ。彼は釣り以外何にもいらない人なんだ。それほどひとつの道を追求した人がそんなこと言うんだからね。」。ちなみに、この名人は、菅野がエアロコンセプトというブランドを営んでいることをちゃんと知っている。そして、そのことについては、心底喜んでくれているのだという。しかし菅野は言う。「いや、オレなんて、師匠に比べたら、まだまだ未熟だね。未熟だなんてもんじゃないね。」と。渓流釣りと言うと、ものづくりや職人の道、ましてや洗練されたブランドづくりの道からははてどもなく遠いもののように感じるかもしれない。しかし、菅野やエアロコンセプトが受けた影響ははかり知れないのである。「いやあ、菅野くんが私の目の前に現れたとき、既に五〇人の弟子が脱落してきたから、きっと菅野くんも駄目かもしれないと思っていたんだ。でも、私以外で川に心を残してこれるのは、菅野くんだけだよ。」。菅野は、そんな言葉をもって、この名人に認められた。この言葉が果たして、何を意味するのかはわからない。しかし、川に心を残すことができるという力とモノに心を宿らせることができるという力は、何の関係がないわけではあるまい。名人と菅野と、川とエアロコンセプト。これらのことにどんな因果関係があるのか、それを解き明かすことは当然ながらできようはずもない。しかし、菅野の野性味やエアロコンセプトの武骨さには、何らかの関係があることは間違いないはずだ。なぜなら、そこには否定しようのない野性味溢れる色かが漂っているし、人智をを超えたとしかいいようのない壮大な力が働いているのだから。それは、まさに自然が、地球が宿している力そのものと言ってもいいのだから。