はじめに

 

 

「驚くべきバイタリティーの職人がいるんですよ。ちょっと、尋常じゃないです、その人は」。

 当時、私が、そんな言葉を耳にした相手は、取材先の「
EXIT METAL WORKS SUPLY」の清水薫氏だった。清水氏は、職人でもありデザイナーでもある。溶接や鍛造などの実製作を行うのは当たり前で、鉄という材質を最大限に活用した鉄製プロダクトの企画やデザインを取り仕切る。いわばスタイリッシュな鉄工デザイン・スタジオの経営者とも言える人だ。一般的な生き方とはほど遠い生き方を選択してきた彼は大変ユニークな人物で、多くのメディアを騒がせてきた人でもあった。

 

 当時の筆者が探っていたのは「モノヅクリと人生」というテーマで、ずっと、そのための取材をとあるウェブマガジンのために重ねていた。1年半ほどの間に、出会った取材者数は100人以上に上った。人に会うのが仕事である。ライター稼業、エディター稼業をしていると、様々にユニークな人々と膝を交える機会が得られる。刺激が多い分、ちょっとやそっとのことでは驚かなくなってしまう。だから、町工場にいる「尋常じゃない」というその人物も、きっと自分の想像内でのユニークな人なのだろう、その当時の筆者には、そう高を括っていたところがあった。

 

 「でも、清水さんみたいな面白い人が、面白いというなら、きっと本当に面白い人なんでしょうね。何かのネタになるかもしれないし、少し調べてみないといけませんね。それで、その方、一体、どんな方なのでしょう?」。「その人はね。菅野敬一さんという職人さんなんです。渓水という会社をやっていて、エアロコンセプトというプロダクトをデザインしている。ああ、本当に、なんて言ったらいいのか。すげぇオヤジなんですよね。」。

 

 「エアロコンセプト?」私は、そんな名前のプロダクト・ブランドは耳にしたことがなかった。だから、その名前を聞かされたとき、「ふーん」としか思わなかった。その名にしても、ただ単に語呂がいいから付けられただけのブランド名なのだろうと感じただけだった。

 

 「普段は、新幹線とか航空機のパーツをつくっている町工場のオヤジなのに、ユマ・サーマンが彼のつくったモノを持っていたり、(ギターメーカーの)フェンダーの副社長のためにギターケースをつくったり、ポルシェ・ジャパンの社長の大のお気に入りだったり、彼の口から出る言葉は、もう町工場レベルの話じゃないんすよ、グローバルなんです。彼は、私らみたいな製造業者の夢なんですよ。もう、とにかく、かっこいいんですよ」。

 

 ご存知の通り、日本の製造業というのは、今や斜陽産業と言われて久しい。かつて日本経済を背負っていた産業は、今や重苦しい負のイメージをもつ産業分野に陥ってしまった。しかし、その険しい分野の道なき道を切り拓いてきた若手ホープが、清水薫氏であった。他の人には真似のできない形で、製造とデザインをひとつにする。そして、それを実際のビジネスに結実させる。これをやり遂げてきたモノづくり界の希望。その人物が、憧憬の念さえ抱いて、町工場の一職人のことを崇めている。それに加えて、町工場とは無縁そうな、ハリウッド女優の名前や世界的ギターブランド名、スーパーカーの老舗メーカー名までズラリとあげている。私はまだ半信半疑ながら、少なからず菅野という人物への興味を膨らませていた。

 

 その後、事務所に戻った私は、彼の会社「株式会社 渓水(現・株式会社エアロコンセプト)」のホームページにアクセスしていた。そこには「PRODUCT」という文字が浮かんでいる。私はこれをクリックした。すると、今度、目に飛び込んできたのは、「AIR CRAFT」「SHINKANSEN」「AERO CONCEPT」「OTHER」などと表示された不思議なカテゴリーであった。「SHINKANSEN、新幹線? そうか、清水さん、新幹線の部品つくっているって、言ってたな」、私はそう思った。そして、「AIR CRAFT」「SHINKANSEN」をクリックすると、ズラリと出てきたのは、「まさに町工場!」という風情の製品群。どうも新幹線や航空機の部品のようである。私が、「AERO CONCEPT」という文字をクリックしたのは、その後だった。画面は、一変して雰囲気を変えた。まるでファッション誌のなかの一コマと表現したら、大げさだろうか。男心を妙にくすぐる部材が剥き出しのアタッシュケース、名刺ホルダー、照明など、普段使えるプロダクトの数々が表示されているのだ。

 

 私はそこではじめて気がついた。「ああ、そうか。航空機の部品の余り物を使って、こういうものもつくっているAERO CONCEPTなんだ。でも、なんでこんなに洗練された形がつくれるんだろう?」。私は、「この渓水という会社、そしてこの菅野敬一という人物に話を聞いてみたい」と心から思うようになっていた。そして、即座に彼に取材依頼をすることに決心していた。

 

 早速、取材依頼を出してみると、すぐにこの工場の経営者でもあり、清水氏が讃えてやまない本人からメールの返信がきた。そして、快く取材を受けてもらえることになったのだった。取材当日、南北線に乗って、鳩ヶ谷駅にある彼の工場へと向かった。工場はプレハブづくりの建物で、あのスタイリッシュでクールなプロダクトの空気とは、どうもイメージが合致しなかった。

 

 菅野敬一は、埼玉県川口市にある工場で温かく迎え入れてくれた。無骨な雰囲気を漂わせながらも、物腰の柔らかい人物である菅野は、インタビュー中、訥々と話をしてくれた。

 

 そのインタビューは、全てを通じて「面白い!」としか言いようがない時間だった。究極の完成度を誇るエアロコンセプトが、さり気なく並べられている事務所内のディスプレイ、菅野本人の職人然とした野性的な外見と愛くるしくもめまぐるしく変わる豊かな表情とのギャップ、町工場らしいプレハブの建物、事務所の温かな空気、工場内のレトロな機械の数々、スタッフ全員が顔を揃えて食べるお昼ご飯、それから、何よりも面白かったのは、明らかに人とは発想が異なる菅野の言葉と彼の人間としての存在感であった。

 

彼の言葉とは、次のようなものだった。

 

「もちろん、お金は大事にしなくちゃいけないよ。ただの紙だって、ないよりはあった方がいいんだよ。でも、俺、そのウチ死んじゃうからさ。その間だけだよ、言えること言って、やれることやって、つくれるものつくれるのは。それを大事にしなくっちゃいけないだろ。」

 

「トヨタのレクサスってブランドがコラボレーションの話を持ちかけてきたとき、"わたしたちは天下のトヨタなんだぞ"って凄い勢いだったんだよ。きっと、彼らはさ、まさか天下の俺たちが持ってきたコラボレーションの申し出が断られるはずなんてないと思っていたみたいなんだよな。でも、そうはいかないよね。経営の規模は違ってもさ、ウチには誇りがあるんだから。」

 

「職人風情が、”哲学”なんて言葉を使ったらいけないんだろうけどさ、やっぱり最後は、”フィロソフィ”なんだよね。人よりも綺麗に加工をしようとか、隙間がないようにするには、どうしたらいいのかって、そう考えること自体が哲学なんだよ。だから、いいものをつくるには、職人の根底に哲学というものが流れてなくっちゃいけないんだよ。」

 

 彼がインタビュー中に語ったことは、そんな力のある言葉の数々だった。これらの言葉を聞いて、「頑固な職人」という、いわゆるステレオタイプな職人像をイメージした人々たちも少なくないのかもしれない。しかし、私は、それだけではない何かを根底に感じていた。あまりにも言葉が胸に響いたからだ。鋭利なナイフというたとえは、ちょっと陳腐かもしれないけれど、彼の言葉には、そんな印象を受けたのだった。それまでに取材してきた中でも、彼ほど一言一言が心に届く人物がいただろうか。彼の言葉には、それほどの力が備わっていた。そして何よりも、筆者は、菅野敬一という男に強く惹かれてしまった。男が男に惚れるというのは、きっと、こういうことを言うのだなぁと、はじめて思ったのである。

 

 そうして菅野へのインタビューは、ウェブマガジンの一本の記事という形に仕上がり、掲載され、読者に届けられることへとなった。掲載後、国内外から随分と大きな反響があった。私が驚いたのは、彼の言葉がちゃんと読者に伝わっていることだった。しかも日本人にだけでなく、海外の人にまで。そう、このウェブマガジンの読者は、半分以上は海外の人なのであった。

 

彼の言葉への賛辞はしばらくの期間、止むことがなかった。

 

「何て素晴らしい人物なんだろう。私も、美しい金属と革のブリーフケースを手に入れたいな。」

Wow, a truly amazing man. The metal+leather briefcases are beautiful. I want one.”

 

「これこそが職人魂だよ。日本の技術に新しい視座を見せてくれているね。(“This is what craftmanship is. Gave me a new perspective to Japanese technology.”)」

 

「何て洞察にあふれたインタビューなんだろう。どうもありがとう。職人さんたちに力を!”(“What an insightful interview. Thank you so much. Power to the

craftspeople!”)」

 

「この菅野敬一という人は、手作りの作品を本当に美しく見せてくれているわ。(“Keiichi Sugano truly shows in his beautifully crafted work.”)」など、

世界中の多くの人が彼の言葉に感動したようだった。

 

 普通、ひとりよがりな説教じみた内容の話は、正直なところ、多くの人があまり耳を貸す気にならないのではないものだ。しかし彼の説教はひと味もふた味も違っていた。どうしてなのか、耳に心地よく響く。時折、社会への怒りが説教のように繰り出されつつも、事物の本質をついているせいだろうか。人に強制をしない語り口のせいなのか。不思議なほどすんなりと心に沁み込む。そして、彼の話を聞いていると不思議な感覚が沸き上がってくる。それは、自分自身が古き良き時代にトリップしてしまうという感覚だ。それがいつの昔なのかは、わからない。ただ、ひとつ言えるのは、それが耳にしていて心地よく懐かしい刺激に満ちているということである。まるで、頑固だけれど、温かく芯の一本通っている昭和オヤジと話をしているような感覚。彼、菅野敬一は、21世紀、平成の世にあって、未だなお、昭和の臭いを色濃く残し、そのまま漂わせるオヤジなのである。

 

 ウェブマガジンの読者らは何かを彼の言葉に感じた。メッセージを寄せるくらいだから、心動かしてくれたことだけは間違いがない。しかし、いくら私が反響の大きさを彼に伝えても、彼は「ふうん、ありがたいね。でも、俺はただの職人でしかないからな。」そう返してくるばかりなのであった。この取材が、菅野という人物との出会いだった。

 

 しかし、どう見積もっても普通の職人ではない。たった十数人の工員の町工場の頭領でしかない彼が、どうしてエアロコンセプトという完成された世界観を創出させられ、世界を騒がすことができたのだろうか。マーケティングを拒否し、ただひたすら自分の欲しいものづくりをして、人々の共感を得ることができたのだろうか。これは、どう考えてもおかしい。言葉は悪いかもしれないが平たく見たら、菅野敬一は一介の町工場の長に過ぎない。その彼が今や世界から熱い視線を注がれている。超有名ブランドも、スクリーンに端正な微笑みを浮かべるハリウッドセレブも、有名セレクトショップのバイヤーも、テレビも雑誌も新聞も、多くの人が彼のつくったブランド「エアロコンセプト」の大ファンなのである。このノンフィクションは、まるで、おとぎ話のような話である。小さな町工場がつくったモノが、世界中の人々の心に語りかけ、彼らの心を激しく揺らし続けているのだ。菅野敬一とは、一体、何者であるのか? 筆者である私が、この本を書こうと思ったのは、そんな彼の正体を暴いてやりたい。成功の秘訣を盗んでやりたい。そんな一心だった。