職人の独り言、一

 

 

 こんな板金工もいたって覚えてもらえたらいいんだよ。少しは若いやつらの希望になるだろ。俺はさ、職人の家系に生まれて、親もまたその親も板金職人だったんだ。もちろん、父親も祖父も、腕には、第一級の技術を持っていたし、俺だって、そうさ。どこまでいっても底のない世界だけど、自信くらいはあるさ。その血筋からなのかね。自分の腕で熟練の職人のことだって、驚かせたことくらいはあるよ。それにね、俺は、職人という職業に誇りを持ってるんだよ。自分を自分で認めてあげるってことはさ、大事なことだろ。俺は、馬鹿かもしれないけどな、職人としてのその血筋については心底愛しているんだよ。

 

 そういや、最近の人たちは、あんまり誇りってものを持ってないのかね? 仕事に対してだってさ、自信を持って自分の仕事に誇りを持ってるやつって、多くないような気がするね。やっぱり、筋の通ったことをしないとさ、人間っていうのは、オドオドしなきゃならないからね。普段から、正々堂々と生きるってことが大事なのかもわかんないよな。俺は父親にもお爺さんにも、幼い頃から、男として、人間としての誇りを持って生きるように言われて、育ったんだよな。だからって、別に俺が素晴らしい人間だなんて言わないよ。だけど、筋の通ったことだけは忘れたら駄目だよな。人を愛して、人として立って、男として立って、強きをくじき弱きを助ける。そういうのって、憧れるじゃねぇか。俺がそれを実践できているのは、知らねぇけどさ、やっぱりそうやって生きたいじゃねぇか。

 

 

 俺が大人になって選んだ職業は、やっぱり職人しかなかったよな。祖父や父と同じ職人しかさ。当時、俺の親父が営んでいた工場は、アルミ素材の精密板金加工という分野では、ピカイチの技術を持っていることで知られていたんだよ。だから、もちろん自然な形で、俺は親父の工場へ、弟子入りするみたいな形で入ったよな。弟子って言ったって、子供の頃から工場を出入りして、みんなのこと知ってるからね。元々、ものづくりだって、大好きだしさ。技術についてだって、工場に入った時点では、なんか、ほとんど体の中に染み付いていたんだよね。

 

 ただね、俺にもひとつ、ふたつは、工場に入ってから、学びを得た覚えはあるんだよ。そりゃ、もちろんそうだよな。まだ若かった頃の話だけどさ、俺は、自分でつくったモノをその辺に放って置いて帰ることがたびたびあったんだよ。その中には、ときどき、出来映えのよくないモノも混じってはあるものさ。当然、そのモノの近くを当時の工場の棟梁であった父親が通りかかることもあったんだ。とっころが、親父は、職人の中の職人だ。だから、出来映えの悪いモノを見つけるとさ、どうしたと思う? 彼はそれを手で払って、地面に勢い良く叩き落としちゃうんだよ。それが、ことある毎に繰り返されるんだからさ。いやになっちゃうよ。でもさ、逆に、モノを手に取って、しばし眺めた後で無言で元の場所に戻すこともあるの。そうすると、それが認められた合図なわけだよ。面白いだろ。

 

 親父は寡黙な職人だったからな。父から、技術的なことを口で教え諭されたことはないな。でも彼は無言の雑作のなかに、「教え」を込めていたと思うね。モノが落とされちゃったときは、さすがの俺だって、そのモノを拾いあげてから、じっと、それを見つ直さざるを得ないんだよ。一体、何が問題だったのか、否が応でももう一度、考えざるを得ないんだよ。でもさ、今思えば、その瞬間にこそ、俺の、職人としての成長はあったと思うんだ。そういうことって大事なんだ。それからさ、でも、こんなこともあったな。親父から、仕事の中で自転車を磨くように指示を受けたんだ。若かった俺は、「面倒くせぇな」と思いながらも、炎天下のなか嫌々、雑巾を自転車にこすりつけるように磨いていたんだね。そうすると、すぐに親父がやってきて、雑巾を取り上げると頭を叩いてこう言ったんだ。「馬鹿野郎! 磨くっていうのは、こうやってやるんだ。こうして細かいところを見て、何がどうやってくっついているのか、よくよく観察しながら磨くんだ。そうすると、モノってもんがどういう構造で成り立っているのか、よくわかるようになってくるだろ」。怒られながらも、「なるほど、そうやってモノは観るものなんだ」って、俺は心底感心したんだよ。

 

 それがキッカケだったのかなかったのか、それからというもの、俺は何かと言えば、モノの構造を観察するようになったね。知人や友人が、興味を惹くようなモノを持っていたら、「貸してみろよ」って取り上げてさ、それを舐めるように眺めたね。きっと、手でベタベタ触ったから、四方八方には指紋が残されてたと思うよ。またレストランに入りゃあさ、ウェイターから雑巾を取り上げてまでテーブルを磨いたりしたもんだよ。テーブルを吹くことで、何かがわかるかもしれない、って、俺、馬鹿だから、そう思ったんだろうな。店員も客も不思議な人間がいるもんだ、って俺の方を見てるわけ。でも、そんなのにかまっていられないんだよな。あとさ、例えば、俺の知り合いが、いい革靴を履いているのとかを見つけちゃうだろ。それがさ、また、いい靴なんだよ。にも関わらず、そいつは靴に何の手入れもしていないの。そういうの見ちゃうと、俺は黙ってらんないんだよ。靴磨きの道具を引っぱり出してきて、靴を脱がせて取り上げちゃうんだ。それで靴を磨いてやるんだ。でもさ、こういうことをやってると、不思議と手つきとか動きってのは、慣れてくるものなんだよな。取り上げられた本人からは、「へぇー、随分慣れた所作で、やるもんだねぇ」なんて、感心されちゃうんだ。でも、そういうモノに対する心ってのは、大事なことなんだよ。日常の中でモノに触れることで、モノに対しての造詣って、深まるものなんだよ。多分、そうしたひとつひとつが、職人としての何か礎みたいなものになって、自分の中に蓄えられていったりするんじゃないかな。俺は、そう信じてるんだな。

 

 俺が思うに、いくら筋が良くたって、職人として一人前になるには、やっぱり十年はかかるかな。いや別に根拠はないよ。でもさ、ずっと人が育つのを見ているとそう思うんだよな。それに俺だって、父親に認めてもらえたような気がしたのは、それくらいかかった気もするしな。とにかく、やってもやっても仕事があった時代だからね。腕も良くなったんだろうね。日本の黄金の経済に後押しされて、工場はだいぶ繁盛していたよ。忙しかったけど充実した日々だったよね。そういう時間を経験して、世代交代の時節が訪れたんだよ。

 

 

 父親のことは、本当に信頼しているし、尊敬していたんだ。だから父が老いて退き、いよいよ俺が工場の長を任せられる番になったときは、やっぱり少し寂しかったよな。でもさ、長年連れ添った工場の仲間たちがいたからね。彼らは、今も工場に遺っているけど、世代もバラバラだったけど、気心がよく知れていて、本当に家族同然だよ。だから、俺も棟梁として、リーダーシップ発揮しないといけなかったんだ。まあ、俺は子どもの頃からガキ大将の気質だったからな。それにみんな、優しいから、俺がまだ若い棟梁だからといって、嘲る者も背く者もいなかったな。心底、みんな、一生懸命に仕事に精を出してくれたよ。職人ってのはさ、汗をタオルで拭きながらも、指先に神経を集中させて、作業を積み重ねて、形をつくっていくだろ? 単純だけど奥が深いんだよ。その精度を探求しはじめたら、底なんてないよ。本当に面白い仕事だし、やるに値する仕事なんだ。まあ、少なくとも俺にとっては、まさに天職ってやつだな。家には、一応、恋女房もいたし、子供たちも育ち盛りだったしな。エリートとは言えなくとも、順風満帆な幸せな日々だったよね。バブル絶頂の華やかなりし時代の日本ってのは、もうやってこないだろうけどね。

 

 それから何年くらい経ってからかな。ある日さ、思いもよらないことが起こっちゃったんだよ。そういうのって、突然起こるんだな。本当に吃驚したなんてもんじゃないさ。倒産しちまったんだから。仕事は沢山あったしさ、何にも悪いことはしえないしさ、順調のように見えたんだ。だけど経営には、資金繰りというものがあるだろ? 俺だって、頭じゃそんなことぐらい知ってたけどさ、まさか、本当にそういうことが我が身にふりかかるなんて、想像もしなかったんだよ。まず、大きな誤りは、受注先を一カ所に絞ったことだったんだよな。八割以上の収入源を一点に絞っちゃったから、リスクってやつを分散することができなかったんだよね。予定されていた入金が遅れただけなんだけどさ、運転資金がショートしちゃって、倒産っていう形になっちゃうんだよ。迂闊と言えば迂闊だったのかもしれないけど、悔しいとか、悲しいとか、そういう次元の感情じゃないんだよ。敬愛する祖父、父と代々続いてきた高い技術の板金工場を潰すことになってしまったんだからさ。俺には、正直、何が起こったのか分からなかったよ。目の前が真っ暗になったしさ、罪悪感と焦燥感で全身が凍った感じっていうのかな。もちろん、そうなりゃ俺のことをなじる者たちだって出てきたさ。容赦ない取り立てだってはじまったしな。工場の土地や建物だけじゃなくてさ、その他の金目のもの一切も全て差し押さえられてしまったからね。

 

 だけどさ、工場を任せてくれた親父は、倒産に対してはひと言も何も言わなかったんだ。妻も子供もいつも通りにふるまってくれていたよ。だけどさ、想像してみてみろよ。そんな無言の生活に罪の意識ってのはさ、大きくなってくばかりなんだよ。あのときの俺は、本当に四面楚歌だったし孤立していたと思うよ。だからなんだよな、遂に死を意識するようになったはさ。一日の処理を終えて、布団に入るときはさ、どうしたって同じことが頭にぐるぐるとめぐるんだよ。明日には、死のう、明日には死のうってさ。だけど、世の中ってのは、そうは簡単に死なせてはくれないんだよな。残務処理をしないで死ぬなんて無責任すぎるだろ。もちろん、従業員たちの生活だってあるんだ。彼らにも心を配らなければならなかったしさ。それに、何よりも自分の家族だって見捨てるわけにはいかないからさ。だから、あんなに真っ暗な時間の中だって、なんとか生きてたんだよな。

 

 

 でもさ、そうこうしたある日さ、不思議な手が伸びてきたんだよ。何の手かって? そう、それが救いの手だったの。またさ、ある人は、仕事がまわるように手はずを整えてくれもしたんだ。嬉しかったなぁ。それから、またある人はね、経理の面から新しい会社をつくればうまくまわることを教えてくれたんだ。それにね、その面倒くせぇ手続きを手伝ってくれることを約束してもくれたんだ。確かに倒産という出来事はさ、俺から工場を奪い、貯金を奪い、仕事を奪ったよ。だけどさ、俺はそのときはじめて気がついたんだよ。俺からは、奪えないものだってあるんだなって。それはさ、人だよ。もちろん俺の職人の技術だってそうだしさ、想いだって、知恵だってそうなんだろうよ。でもやっぱり、人ってのは、凄い宝なんだなって、心底気がつかされたよ。人から奪えないもの、それは、腕、心、知恵、そして人だね。人の情っていうものは、本当に温かいし、カッコいいものなんだ。ああ、俺も困っている人がいたら、黙って助けられる人間になりたいって、そのとき気がつかされたよ。

 

 俺もさ、そのときは疲れきっていたけどさ、もう一度、もう一度だけ、前を向いて生きていこうって本当にそう思えたからね。自暴自棄の心理状態なんだろうと思うけどね。そんな状態だからさ、いくら前を見て生きるったって、その頃の俺には足を進めることしかできなかったね。できたのは、ただただ足を進めるだけだったんだよ。それに不思議なものでさ、一度意識を向けた「死」というものが頭から消えてなくなることはなかったね。でも、きっとそれはいいことだったんだろうな。倒産ということを経験して、はじめて真剣に「死」というものに向き合ってからはさ、意外なことに気がついたんだよ。それは何かっていったら、自分の中にたったひとつ残された欲なんだよな。それも前向きというよりは、どちらかと言えば後ろ向きの欲なんだけどさ。まあ、夢と呼ぶにはあまりにも小さな想いだったかもしれないよね。

 

 俺が心に抱いたその欲ってのは、「自分の好きなものづくりがしたい」というシンプルなことだったのさ。「本当に自分が欲しくなるようなものを、自分の手でつくってみたい」って、ただそれだけ。モノづくりをする職人の子として生まれたんだ。モノづくりをしつづける人生を歩んできたし、モノづくりをする職人として命を全うしたいじゃないか。だとしたら、俺には「自分の好きなモノづくり」を成し遂げるほか他に道はないって思っちゃったんだよな。